ごあいさつ
今年に入って、新型コロナウイルスの感染が広がっています。日本共産党も、この事態にあたって、さまざまな現状を調査しながら、苦難の軽減と事態の収束のために全力をあげているところです。ご要望やご意見をぜひ、お寄せください。
さて、私は2020年4月に、県議として5期目の当選をさせていただきました。あわせて今回の選挙で、射水市選挙区から津本二三男さんが初当選され、富山県議会の日本共産党が2議席になりました。かつて1979年に、1年間だけ2議席だったことがありますが、40年ぶりに念願の複数議席を実現できたことを、心から嬉しく思います。
これまでも私は、県民のくらし応援の県政を一貫して求めてきました。「住民が主人公」の信念で、みなさんの知恵を借り、みなさんと一緒に運動してきました。今回の選挙でも、「消費税増税ストップ」「国民健康保険料の引き下げ」「暮らしの明日に希望の持てる政治を」と訴えました。公約の実現のために、全力で頑張ります。
安倍内閣の「アベノミクス」で一部の大企業、大金持ちは、どんどん豊かになっています。どれだけ待っても、庶民にその富はまわってきていません。格差と貧困がどんどん広がっています。この歪みをただし、県民の暮らしと福祉を守ることが今、本当に求められています。
もう一つ、今年の国政の焦点は、安倍首相が前のめりですすめる憲法9条改正の国会発議を、国民が許すかどうかです。憲法9条改悪反対の3000万人統一署名運動の成功をはじめ、みなさんと一緒にがんばります。
みなさんの、毎日の暮らしを守るために、みなさんの様々な声と要求を県政に反映させるために、がんばります。ぜひ、応援してください。よろしくお願いいたします。 (2020年4月19日記)
プロフィール
おいたち
昭和30年(1955)年、新潟県長岡市に、2人姉妹の二女として生まれました。父は、国鉄職員で転勤も多く、駅舎とレールに親しんで育ちました。
昭和20年8月2日未明の長岡大空襲の体験から、戦争はけっしてくりかえしてはならないと、母親は折に触れて私たち娘に話してくれました。母の実の長兄が、ガダルカナルで戦死したこと、その広報をうけた母親が、目の前で大声をあげて泣いた話を、私は最近はじめて聞きました。安倍内閣の「戦争をする国づくり」を前にして、「安倍さんは何を考えているのか」と言いながら、娘の私に初めてその話をしてくれました。そんな影響を受けて育った私は、次第に中学、高校と、ベトナム戦争など、歴史や反戦運動などにも関心を持つようになりました。
大学時代、日本共産党に入党
1974年、富山大学文理学部に入学。日本史を専攻。
入学と同時に、日本民主青年同盟や日本共産党の先輩たちに出会い、大学1年生の7月に入党。充実した学生時代を過ごしました。
教員志望だった私ですが、大学卒業を前に、日本民主青年同盟の富山地区委員長就任を要請され、悩みぬいたすえに、富山県に残り期待に応えることを決断しました。
長岡の両親の心配をよそに、のびのびと日本共産党の活動にうちこみ、独身生活を謳歌。縁あって、32歳で結婚、36歳で長男を出産。40歳で長女を出産しました。
2児の母となってからは、共働きをしながら、保育所の父母会長や児童クラブの世話役を引受け、新日本婦人の会の運動にも参加。長男が豊田小学校に入学する時に、地域のお母さんたちと「豊田校区に学童保育を育てる会」をつくり、学童保育所を開設しました。その後、NPO法人とよた学童クラブを立ち上げ、学童保育所「とよた学童クラブ」は設立20年目以上、父母会の手で運営されています。現在は、豊田校区で2ヵ所、倉垣校区で1か所を運営しています。
富山市は、地域健全育成事業「子ども会」で留守家庭児童も見ることができるから、市としては学童保育所はつくらないとの態度をとり続けてきました。そのなかで、富山市に改善を働きかける足掛かりとして、とよた学童クラブは貴重な役割を果たしてきたと思います。その後、民営の学童クラブへの補助事業がスタートし、国が2015年子ども子育て支援新制度をはじめ、市町村に放課後児童クラブの設置を義務付けると、ついに富山市も学童保育所設置に責任を持たなくてはならなくなったのです。を求められることになりました。私たちの活動が、法律でやっと認められたと喜んでいます。
「県民こそ主人公」 女性が生き生きと活躍できる社会を
1989年、日本共産党の専従役員となり、2000年からは党富山地区委員長になりました。女性の党地区委員長は県内初めてだったそうです。日本共産党は、男女平等と女性の地位向上を含むジェンダー平等を、綱領に書き込んでいます。女性が能力を発揮するために、男性たちが真剣に支えてくれる党です。昨年4月の選挙でも、全国の都道府県議なかで、日本共産党議員の半分以上が女性になりました。私にとって、党の地区委員長としても経験が、県議としての活動にも、大きな力になっています。
みなさんに支えられ県議会議員に くらし・家庭を大切にする県政へ
2003年4月、富山県議会議員に富山市選挙区で初当選し、6期24年間、県議をつとめられた犬島はじめさんの議席を引き継ぐことになりました。
現在、増えたとはいえ、富山県議会の女性議員はまだ4人。初当選の時、小学校2年と6年だった子どもたちも大きくなって、手がかからなくなりました。子育てしながらの議員活動をささえてくださった全てのみなさんに心から感謝しております。
富山県議会は4年前、当時の副議長をはじめ3人の議員が政務活動費の不正で辞職し、県民の信頼を大きく損ないました。富山市議会、高岡市議会でも不正の発覚が相次ぎました。日本共産党は、どの議会でも不正の解明と、再発防止、議会改革の先頭にたって頑張ってきました。その意味でも、日本共産党への期待は広がっています。
私は、初当選以来、定例議会ごとに欠かさず議会報告を発行し、地元の全公民館での報告懇談会も開かせていただいています。これからも、努力し続けていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
現在、県議会県土整備観光委員会と、総合交通県土強靭化特別委員会に所属。同特別委員会の副委員長。「豊田校区に学童保育を育てる会」代表など。富山市豊城町に、夫との2人暮し(ただし2世帯住で、一階には夫の両親と妹)。長男は無事結婚し、長女は東京で就職。