1966年11月に婦中町(当時)で結成された、イタイイタイ病対策協議会。11月12日に、設立50周年記念式典が開催され、犬島肇元県議とともにお招きいただきました。当日は、記念碑「イタイイタイ病・闘いの記念碑」も建立され、除幕式では私も、出席した県議を代表して綱を引かせていただきました。
私は、この50周年の機会に、富山県が今後果たすべき役割について県議会で質問することを決意。結成50周年記念誌をたよりに、高木イ体協会長、青島恵子萩野病院現院長、イ病弁護団、犬島元県議、地元も発生源対策専門委員会役員などのお話しを、うかがって歩きました。
石井県知事は、5年前に県立イタイイタイ病資料館を建設したこともあり、富山県が積極的にイ病対策に取り組んできたことを自負しているようです。それは、それで大いに評価できることではあるのです。しかし、イ体協や地元住民のみなさんのなかには、富山県に対する批判が根深くあることを、示しておかなければならないと思いました。イ病認定審査会の認定のあり方、患者救済や汚染土壌復元における原因企業の負担率39.39%の低さ、発生源対策における県の非協力的な姿勢・・・。知事がどこまで理解しているのか定かではありません。みなさんのご意見のなかから、質問項目はそんなことを念頭におきながら絞り込んでいきました。私の質問に対する今回の知事の答弁は、前向きなものだったと言えるでしょう。しかし、認定審査会の改善を求めた質問に対する厚生部長の答弁は、批判をまったく受け付けない従来の態度のままでした。
イタイイタイ病との闘いは、イ対協初代会長の小松義久さんの尽力や弁護団の役割もあって、超党派の闘いとして最後まで進められました。だから、裁判も、公害病裁判としては初の完全勝訴を4年半の短期間で勝ち取ることができたと言えると思います。もちろん、そのなかで日本共産党は、大きな役割を果たしてきました。弁護団事務局長の近藤忠孝さんは、のちに日本共産党の参議院議員になられました。県議会でも、日本共産党を含め超党派での論戦が、住民を大きく後押ししてきました。富山県議会の大きな誇りです。
今回の質問は、私にとっても貴重な機会となりました。北東アジアと世界にこのたたかいの成果と教訓を伝える仕事に県がしっかり取り組むよう、今後も働きかけていきたいと思っています。(左の写真は、県立イ病資料館の竣工式で、生前の近藤忠孝弁護士らと)