私の住んでいる富山市豊田地区にある学童保育所「とよた学童クラブ」は、父母会がNPO法人を取得して運営する富山市の補助事業です。豊田小学校のグランド北側に、2軒の小さな箱のようなクラブがあり、今年も約80人の子どもたちが、元気に夏休みを過ごしました。
8月18日夜には、今年も「クラブ」で育った子どもたちのOB会が開かれ、20人余りが集まりました。最初の頃は、保護者が呼びかけていましたが、最近はみんな子どもたちが相談して自分たちでみんな決めて、みんな準備するようになりました。15年前の夏休みにスタートしたこのクラブ。当時の3年生は、もう24歳。OB会の中心になっている女の子は、大阪で絵の勉強をしながら民医連の診療所で働いています。もう一人は、富山市の保育士。当時の1年生だった男の子3人組は、みんな大学4年生。就活の年ですが、大学院へ進む子もいます。毎年集まっているので、もうほとんど兄弟状態です。
15年前私は、わが子の豊田小学校入学を目前にして、富山市は学童保育所を設置していない、わが地域にも学童保育所がないという事実を初めて知りました。全児童対象のミニ児童館事業(現在の「子ども会」)で、留守家庭の子どもも、他の子どもたちと一緒にみるとの方針です。小学校入学後、息子はその「たんぽぽ広場」という事業でお世話になりました。しかし、当時は夏休みの開設さえ、していませんでした。夏休みの開設を要望しましたが、結局実現しませんでした。
「自分たちでやったらどう?」と背中を押してくれる人がありました。校長先生に相談すると、3年生までの全児童に呼びかけのビラを、学校で配ってくれました。こうして、15年前の夏、民家を借りて34人の子供たちが一緒に夏休みを過ごしたのです。今思い出しても、それはそれは子どもたちにとっても、運営した親たちのとっても、楽しく充実した夏休みでした。富山県母親大会の子育て分科会で、偶然知り合った方が、石川県で学童保育の指導員をされていたことがあり、夏休み中全部で2万円のお礼だけで指導員を引き受けてくださいました。
さあ、夏休みで終わったこの「夏休み子どもクラブ」。楽しくて、楽しくて! 夏休み最後の晩、明日からクラブがないと知った子どもたちは、がっかりしたのでした。なかには、泣いた子もいたと聞きました。
2学期に入ってからも、私たちはこのまま終わっていいのかと、悩み続けました。そして結局、その年の12月、「夏休み子どもクラブ」は、本来の学童保育所「とよた学童クラブ」としてスタートしたのです。私が県会議員になる4年前でした。私のまわりには、頑張りやさんのお母さんたちが、たくさん、たくさん集まってきました。富山市長あての要望署名も、何回も集めて市役所に要望に行きました。地元の自民党の市議さんは市長が怖いので、頼んでも同行してくれませんでした。共産党の市議さんが、いつも力になってくれました。
富山市が学童保育所をちゃんと責任を持って開設するまで、しかたなく自分たちで運営するつもりだった「とよた学童クラブ」。しかし、富山市は今だに、自ら学童保育所を設置しようとはしないのです。私立の保育所などに学童保育所を作らせて、補助金は出すとの姿勢です。私たちは結局、自分の子どもたちが卒所してからも、やめられないで15年間続けてきたのです。それでも、最初かたくなに認めようとしなかった富山市に、独立した学童保育事業を創設させ、NPO法人となって自らもその補助事業対象になり、児童が40人を超えたので2か所のクラブに分割し、豊田小学校の移転にともない4年前には2,500万円(うち1,000万円は補助金)をかけて、クラブの建物を2軒新築しました。保護者の強い願いに応えて、隣接する荻浦小学校区にもクラブを作り、倉垣小学校区にもクラブを作って、運営していきました。
15年も、続けるなんて思わないでスタートした学童保育所。でも、保護者と指導員をはじめ、地域のみなさんの力で、続けてくることができました。いろんな「事件」はあったけれど、火事も大けがもなく・・・。そして、この地域の取り組みがあったからこそ、県内の学童保育運動にも参加でき、県議会でも様々な提案をしてくることができました。
11月30日には、とやま自遊館で「15周年のつどい」を開くきます。お世話になったみなさんに、心から感謝したいと思います。